
物事には、言葉という符号では通じきれないところがある。
日本語はその点で「曖昧」を残すことによって、言葉の陳腐化を防ぎ、哲学として「不立文字」を伝えて来たのだ。
写真にはキャプションが必要か否かはずいぶん意見が分かれる。写真が伝える言葉にならない言葉に徹するか、「言霊」にこだわり、あくまでも言葉の美しさをもって、映像の補足をするかだ。
ファインダーをいたずらにのぞくことなく、偶然撮る写真も、それはまだ一興である。
写真というものは、イマジネーションの産物だ。写真は写真であってそれ以下でもそれ以上でもないが、それに何らかの「意味」をつけるのは後付けの概念でしかない。それがキャプションだ。
狙って思惑通りとれたものなど何もなく、たまたま撮ったら、こんな意味を感じた・・・。
不立文字の意味が少しだけ垣間見た感じがする。
- 2008/03/26(水) 00:20:08|
- フォトエッセイ|
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