tathaagataとは、大乗仏教においては諸仏を表す。つまりこの意味は「真如の道によって、正しい悟りを開き来た存在」ということであり、一般には「如来」という言葉で表され、釈迦如来や阿弥陀如来といった尊称として用いられる。
だが、如来という言葉には、自在であるという意味も付加される。如来は「真如」の存在であるが故にその所作には一点の揺らぎもない。金剛のように揺らがない「真」であるが故、、そこを規準としているものは一切が揺らがず正しいものであるということが言える。
ところが、一旦それが「正しい」ということにこだわってしまうならば、規準からの自在が消え去ってしまうのである。したがって、そうなれば、tathaagata(如来)とは言えない。
この存在は、真を真とこだわらず、常に変化する無常の中で、変わらぬ光を放つことがあるかどうかにかかってくる。

- 2006/09/28(木) 18:39:53|
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